名胡桃城址(みなかみ町)

天正14年(1586)、天下統一を目前にしていた豊臣秀吉は関東・奥州の大名に対し、私闘を禁じる「関東奥惣無事令」を出しました。その後、秀吉は全国の諸大名に上洛を命じたところ、天正17年(1589)、北条氏は上洛の条件として利根・吾妻地域の領有を要求。秀吉は「利根川を境として、沼田城を含む東部一帯を北条に、名胡桃城を含む西部一帯ただし赤谷川の左岸に限っては真田に」という裁定を下しました。ところが裁定に不満だった北条氏は同年10月に名胡桃城を不法に攻略。報告を受けた秀吉は激怒し、天正18年(1590)北条討伐軍を起こします。いわゆる小田原征伐で、征伐軍に集まった兵は20万とも22万ともいわれ、国内の戦いでは最大のものと伝わっています。

一般的には小田原征伐で戦国時代が終わったとされています。小さな山城である名胡桃城の領有をめぐる小さな事件がきっかけとなって、1467年応仁の乱から約120年続いた戦国時代に終止符が打たれ、日本の歴史を変えることになった…とのことで、地域の方々により積極的に保存、啓蒙活動が行われています。