「禰固岳」と彫られた石標(根子岳山頂)
根子岳山頂には、「禰固岳」と彫られた石標があります。 「根子岳」という名前の山は日本全国にあるそうです。通常、解説では「猫の背中の様に見えるから、猫岳からきてい […]
当地にある趣ある道祖神、双体道祖神、宝篋印塔、旧街道の道しるべなど。いわくのある石仏・石碑・石塔・地蔵など。新旧問わず良き石造物を紹介します。
根子岳山頂には、「禰固岳」と彫られた石標があります。 「根子岳」という名前の山は日本全国にあるそうです。通常、解説では「猫の背中の様に見えるから、猫岳からきてい […]
真田町戸沢地区の山中に「雷岩」というものがあるというのです。日照りが続いた時に「雷岩」を神川まで下ろし、神川の水をかけると雷が鳴り雨が降った…という伝承があるの […]
南側(鳥居峠)から登ってくると、まずある社が「西の宮」です。「西の宮」は菊理媛神(くくりひめのかみ)を祀っています。伊邪那岐神が伊邪那美神を追って黄泉国に至り、 […]
海野塚は長野原町羽尾城主・羽尾幸全入道の弟、海野能登守輝幸とその息子幸貞親子の墓です。数年前、羽尾城址で兄弟の海野長門守幸光の墓を訪問した時からここにはぜひ来た […]
墓のある正覚寺は普通の訪問者だと見つけるのが難しい立地です。山門は非常に立派でした。また、寺の入口付近に小松姫の墓の案内地図がないので、聞ける人がいない場合はう […]
「平八石」の由来はそれよりも古く、真田昌幸が沼田城を攻略した際の沼田一族の生き残り、天下無双の勇将・沼田平八郎景義を(だまして)殺害した時に首級を置いた石とのこ […]
真田氏三代、いわゆる幸隆−昌幸−信之・信繁(幸村)時代は良政を行っていて、領民の忠義心は厚かった、と聞きますが、沼田藩五代藩主真田信利の悪政はひどかったそうです […]
かつて日本で最も短いトンネルだった樽沢トンネル。長さ7.2mです。今にも落ちてきそうな上部の岩は「ついたて岩」というそうです。 樽沢トンネル付近の岩壁には、弘化 […]
国指定天然記念物・臥竜岩岩脈の頂上すぐ横に、実は古道・久森峠越えむかし道があります。 蓮の花、阿弥陀三尊の梵字、助力村六十余の彫字が見えます。久森峠は東吾妻町応 […]
真田信綱は幸隆の長男でしたから、家督を継ぐはずの人物でした。武田二十四将にも数えられ、立派な武将だったと伝わります。武田氏の命運を分けた長篠の戦で討死した信綱の […]
しだれ桜の名所でもある長谷寺へ。真田幸隆・昌幸の墓をお詣りしました。「一徳公之墓」が幸隆の墓なのは、幸隆が晩年、一徳斎と名乗っていたことを知っていたのでわかりま […]
鎌原観音堂の向かいにある墓地の横の道を進んでいくと、やがて左に「鎌原城址」の看板があります。 三の丸よりも手前から見ますと、道路の前方、延長線上に三の丸、二の丸 […]
(看板より)延命寺石標の欠片を利用した 道しるべ 「右すかを 左ぬまた ミち」とあり、右を行くと苅宿を経て須賀尾、大戸、高崎へ、左を行くと、袋倉、羽根尾、原町 […]
随神門手前には、軽井沢町文化財「石の風車一対」があります。明暦三年(1657)に軽井沢問屋・佐藤市右衛門 及び、代官・佐藤平八郎の両人が二世安楽祈祷のため神社の […]