真田信綱は幸隆の長男でしたから、家督を継ぐはずの人物でした。武田二十四将にも数えられ、立派な武将だったと伝わります。武田氏の命運を分けた長篠の戦で討死した信綱の首は、家臣の白河兄弟が信綱の陣羽織に包み(血染めの陣羽織)、この桜(エドヒガンザクラ)の下に持ち帰ってきました(墓前の桜)。それ以降、この桜は赤い花をつけるようになり、白河兄弟は自刃したそうです。
信綱と信綱夫人、そして後年になって昌輝の墓もここに遷されました。
真田信綱は幸隆の長男でしたから、家督を継ぐはずの人物でした。武田二十四将にも数えられ、立派な武将だったと伝わります。武田氏の命運を分けた長篠の戦で討死した信綱の首は、家臣の白河兄弟が信綱の陣羽織に包み(血染めの陣羽織)、この桜(エドヒガンザクラ)の下に持ち帰ってきました(墓前の桜)。それ以降、この桜は赤い花をつけるようになり、白河兄弟は自刃したそうです。
信綱と信綱夫人、そして後年になって昌輝の墓もここに遷されました。