四阿山頂の奥宮 西の宮・中の宮(石積社)・東の宮

南側(鳥居峠)から登ってくると、まずある社が「西の宮」です。「西の宮」は菊理媛神(くくりひめのかみ)を祀っています。伊邪那岐神が伊邪那美神を追って黄泉国に至り、そこから逃げ帰ろうとして黄泉平坂で争った際に、間に立って二神の調停をした神様で、白山権現の垂迹です。

その次にあるのが岩室つきの「中の宮」。石積社とも呼ばれています。最古の斎場で、大己貴神 (おおなむちのかみ )を祀っています。大己貴神とは大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名ですが、押森宮司曰く、火山に関係するところは大国主神ではなく大己貴神を祀っている傾向がある…そうです。大国主神は須佐之男神の六世孫で、出雲の神として有名ですが、国造り、国譲り神話の中心的な神で、広く全国を統べる神格を持ちます。

山家神社は元々、大国主神を祀って旧山家郷の産土神としたものであり、景行天皇(71〜131)時代に日本武尊を合祀しました。その後、泰澄の弟子・浄定が養老2年(718)に四阿山に白山権現を勧請し、神仏習合により一時は白山寺が旺盛となったが神仏分離令により白山寺は廃寺となり現在に至っています。

「東の宮」に到着。ここに伊邪那美神(いざなみのかみ)が祀られています。伊邪那美神は神世七代の最後にイザナギとともに生まれた女性神で、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生みました。しかし火の迦具土神(かぐつち)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなり、黄泉国の神となりました。

開山祭が始まりました。今現在は6月1日に開山祭としてのみ行っているこの例祭も、かつて(明治初年まで)は6月 15 日と 11 月 17 日に「神送り・神迎え」神事として、例大祭に次ぐ祭事だったそうです。6月 15 日には親神様を本社から涼しい奥社へ送り、子神様を本社へ迎え、11 月 17 日には逆に親神様を本社に迎え、子神様を奥社へ送ったそうです(ただし、親と子が逆という説もあります)。この神事は農耕の田の神信仰だと考えられますが、親子神が山と里を交代するという形は、全国でも珍しいそうです。