東吾妻町の『雁ヶ沢城址』 を探検しました。

【シリーズ】戦国真田の吾妻侵攻と、あがつまの山・里・花を訪ねるエコツアーhttp://ecotourism.or.jp/sengokusanada.htmlを実施中です。

『雁ヶ沢城址』と『根小屋城址』探検エコツアー
http://ecotourism.or.jp/sengokusanada/gangasawa-negoya01.html

案内人は「東吾妻城壘史研究会」主宰の冨澤朗さんです。まずは雁ヶ沢城址から。

東吾妻町松谷でも最も吾妻渓谷に近いところに雁ヶ沢城址はあります。実際には隣接している沢は鍛冶屋沢なので、鍛冶屋沢とすべきなのでしょうが、雁ヶ沢城と名がついています。戦国真田の頃もそう呼ばれていたかはわかりません。

少し登ると諏訪神社が。武田軍は諏訪神社の信仰が厚かったので、武田軍として吾妻に侵攻した真田氏も同様に領地にした暁には次々に諏訪神社を奉っていった…というイメージがあったのですが、冨澤さんは別の見識を持っていらっしゃいました。

江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が貞享4年(1687年)に制定した殺生を禁止する法令「生類憐みの令」は有名ですが、それと似たような法令が鎌倉時代にも発令されたそうです。しかし、それでは鹿や猪などの農業害獣が増えて困るのですが、諏訪神社だけは獣を奉納することが許されたそうで、全国各地に諏訪神社が建立されていったのだそうです。

本丸から屏風岩の方に向かって登るはずですが、いったん少し下ります。ということは、今ある砦も盛り土されているのかもしれません。そしてここにも横堀の跡がありました。

ここから続く尾根道、屏風岩そのものは断崖絶壁で足場が悪いですが、屏風岩までの道は緩やかです。それでも戦国時代の進軍は二列だったそうで、狭い道を進軍してくるとは考えられないそうです。