7月の四阿山TV撮影に向けて、番組制作会社のディレクターさんとロケハン(ロケーション・ハンティング)をしてまいりました。

戦国大名真田氏も四阿山を崇敬していましたが、当時から奥宮は三社あったそうです。つまり、信州向きの東の宮も、上州向きの西の宮もあったと。そして鰐口は両方の社にもあったのだそうです。

私も少し勘違いしていました。山家神社の境内には白山寺があり、神仏分離令で廃寺となり、白山寺は現在真田神社となりました。その経過から、元々、地域の自然崇拝的な四阿山に白山神社を勧請し修験の山にしたのは、白山寺のほうだと思っていたのですが、そうではありませんでした。行者浄定と山家神社との関係は不明ですが、四阿山白山大権現の崇敬を継承し伝播していたのは山家神社のほうだったのです。

米子大瀑布にある米子大権現は仏教系の修験道ですが、四阿山白山大権現は神道系修験道の霊山であったのだそうです。