王城山古城 長野原町

王城山々頂は古城跡といわれていますが、実際には城というより砦の規模だったようです。不自然な盛り土など、やや土木工事の面影はありますが、岩櫃城址等に見られるほどの大規模なものは感じられません。天然地形のまま使われていたような気がします。

王城山神社から、浅間酒造の方向がよく見えます。永禄六年(1563)九月下旬、長野原城(箱岩城)は真田幸隆の弟・常田新六郎俊綱が守備していました。斉藤憲広は農繁期のこの時期に斉藤弥三郎、元城主・羽尾幸全や剣豪・海野能登守輝幸を将とし攻撃します。常田は兵を十分に徴集できないまま須川、琴橋を切り落として防ぎましたが、斉藤軍は王城山の大木を切り落とし、須川を埋め立てて橋にして川を押し渡り対岸へ進出、諏訪明神前で城を打って出た真田軍と乱戦になりました。大将常田は戦死。城兵は、鎌原の城に後退したそうです。