中之条町のシンボルともいえる・嵩山(たけやま・789m)は、吾妻七社明神の中心的な神である和利大明神そのものであり、祖先の霊魂を祀る山、天狗の住む伝説など、古くから地域の霊山として人々の信仰を集めてきました。
永禄六年(1563年)、岩櫃城が真田幸隆に攻められ落城。岩櫃城主吾妻太郎斉藤越前守(憲広)の子・城虎丸(じょうこまる)(18歳)を擁した吾妻衆が、上杉謙信の支援を受けて嵩山城に立てこもりました。しかし永禄八年(1565年)11月、激戦の末に城主城虎丸は、城の北方の天狗峯(大天狗)近くの断崖から飛び降りて自害し、後を追って多くの人が亡くなったと伝えています。
実城の平(みじょうのたいら)の看板説明文
「実城の平」は城の中心の意。「本丸」を「実城」と呼ぶ。無常の平ともいう。
永禄8(1565)年11月、武田信玄方の「真田幸隆」に攻められ嵩山城は陥落。若き城主、城虎丸(当時:18歳)は山から飛び降り自ら命を絶ち、女性や子供も後を追ったという悲話が伝わる。
この戦いの犠牲者の供養と霊山嵩山への信仰のため元禄15(1702)年から坂東・西国・秩父の嵩山百番観音が建立された。
ここには、西国・秩父観音71体(観音70体、阿弥陀如来1体)が安置されている。