松谷神社のささら師子舞(東吾妻町)

東吾妻町の中でも長野原町に近い松谷の松谷神社で行われる獅子舞が変わっているというので、様子を見に行ってきました。

師子舞という字も変わっていて、普通、ししまいは獅子舞と書きます。獅子が師子になっている訳です。なんでも、古代中国の辞書には「獅」という文字は収録されておらず、また古い仏典にも師子と載っていて、獅子と書かれた例は無いそうです。松谷神社の氏子がこの文字の使用に誇りを持って固執しているのは古き伝統を重んじているからなのでしょう。

神楽殿をそのまま上演舞台として使用します。地上に下りることがないのは舞の格式を示すものと意識されているそうです。

ささら師子舞の「ささら」とは、簓(ささら)という楽器を用いるからなのですが、簓を用いるのは特に珍しい例ではありません。簓は佐々良とも書くようです。

花笠の子供は左手に簓子(ささらこ)をもち、右手に簓を持ちます。

道中の舞というものはなく、すべて舞台の上で白足袋を履いて演じられます。このために、御殿師子という呼び名もあるそうです。

囃子方はすべて神楽の囃子を勤める成人が分担していて、数人の笛方と、数人の歌方とに分かれています。舞の中に歌の入るところが三カ所あります。

通例師子は牡師子(おじし)牝師子(めじし)と呼ぶことが多いのですが、松谷神社では「親師子」という呼び方をしています。これは花笠をかぶり、簓を摺る子を将来成長して師子になる子師子に見立てているのかも知れない…そうです。