11月は秋祭りシーズン。東吾妻町大戸の畔宇治(くろうじ)神社の獅子舞は、以前からぜひ見たいと思っていました。畔宇治神社には上州一の豪商で分限者・加部安左衛門が文政9年(1826)に寄進した石灯籠があり、東吾妻町の重要文化財になっています。加部安左衛門は天明三年の浅間山大噴火の際、壊滅した鎌原村を黒岩長左衛門(大笹)、干川小兵衛(干俣)らと共に救済し復興へと導いた人物で、そんな背景もあり畔宇治神社のことは気になっていました。

畔宇治神社の獅子舞は、文政四年(1821)よりも昔から奉納されていたことは文書により確認されていますが、具体的に始まった年まではわかっていません。また、近くにある古賀良神社は文政二年(1819)に奉納舞されたことが古文書に記されていますが、同一のものだったのか、別のものだったのかはわかっていません。口伝によれば、この獅子舞はもともと古賀良神社のもので、明治の神社合併により、畔宇治神社でも奉納舞をするようになった、そうです。つまりは、一度畔宇治神社の獅子舞は絶えてしまい、明治以降、復活した、ということになります。

しかし、昭和50年(1975)頃、後継者不足によって一旦は中止となり、浦野芳夫さんと黒岩進さん等が中心となって広く大戸全域に呼びかけて、昭和62年(1987)に獅子舞保存会を結成、12年ぶりに復活したのだそうです。

それにしても、「岩櫃城 忍びの乱」で大変お世話になった、合気道の黒岩進先生が獅子舞を復活させた中心人物だったとは…先日も群馬県知事から生涯スポーツ推進に尽力したとかで文化功労賞(だったかな?)を受賞されていましたが、すごい人物だったんですね。おみそれいたしました…