長野原町「林の御塚」のイタヤカエデ

御塚霊園境内のイタヤカエデは長野原町指定天然記念物(昭和 53 年(1978年)2月 28 日指定)で、胸高周 3.70 m、樹高 32 m、根元周 5.30 m、樹齢推定300年だそうです。26 年経った現在測ってみたところ、3.74 mです。25 年間で直径3cmは、今朝の大杉とはずいぶん違った値ですね。

このイタヤカエデと同じくらい大きなものが、もう一本あります。立派な霊園です。

長野原町指定文化財 御塚 昭和十九年九月二十一日指定

 浦野家墓地にひときわめだつ小山を、里人は「御塚」と言っている。大字林浦野家の過去帳によれば、「大乗院村信法印、寛永二年三月御塚の神也」とあることから、この御塚は権大僧都法印村信を葬った墓であることがわかる。

 村信は浦野家三代浦野右衛門尉重俊の二男として生まれ、父は上州大戸城主で吾妻郡三島村に住し、天正十一年(1583)榛名堺論には、村信・村英兄弟は榛名山房に切り込み山中には一人もなく逃げ去ったと言う。

 それより村信は禄を得て林村大乗院に赴き、修験号を仮に大善院と称し、天正十七年上京して大乗院住職となった。村信は嗣がなかったので、海野長門守の二男俗名信濃丸を養子に迎え嗣とし幸照と号した。後に沼田城主真田伊賀守の祈祷所となり、村信の没後伊賀守は近村に令して戸毎に蕎麦の殻を課徴してこれを埋め、塚を築造し村信の墳墓とした。これが林の「御塚」である。

 平成六年三月吉日 長野原町教育委員会