池の薬師水牢の跡(東吾妻町)

池の薬師水牢の跡(町史跡 昭和48.3.23 指定)

薬師堂の山端の難石を掘った古池跡が、真田伊賀守による苛政を物語る「水牢」の跡と伝えられている。水牢とは6間(約10.8m)四方を掘り下げ深さ2尺(約60cm)ほど水をため、周囲に塀をめぐらし木戸を立てた牢屋。当時の沼田藩主の重税は苛烈を極め旧暦12月の年貢上納に際して、刑罰として年貢未納の農家の妻子を4,5人ずつ縄で縛って水牢に投獄し、寒中の水の中に立たせたと伝えられている。投獄された家の者は、見るに堪えず一族から金子(きんす)を集め、またある者は田畑を処分して年貢を済ませ妻子を救い出したとつたえられる。この水牢は天和元年(1681)8月11日山崩れによって埋没したが、その一部は現在まで歴史の証言者としてその姿を今に伝えています。