中之条町史跡 百瀬の水牢跡

中之条町史跡 百瀬の水牢跡

水牢は人を水の中に入れる水責めの一種でおもに年貢の取りたてに使われたといわれる。水牢跡は近世の沼田藩の中で吾妻東部だけに残されている遺跡であり、八ヶ所ある中でこの跡がもっともよく原型を残している。記録には 12 m 四方に粗朶をゆい、木戸を設け、周囲は石垣で、女は水を 70 cm位にし、子どものある者は背負わせ単衣にさせ5人ぐらいを袖に通してつなぎ入れたといわれる。男は首のつかるまで入れたといい、体温低下により死んだ者もいたといわれる。この悲惨な姿を見て、人々にすがり年貢を納めたのだといわれている。吾妻東部にしか見られないものなので、中世における岩櫃城主斉藤越前守(岩下衆)が使ったものと推定され、それを近世になり真田伊賀守も使っただろうと考えられている数少ない遺跡で貴重なものである。