鎌原の郷倉(嬬恋村)

郷倉は原則的に村(郷)ごとに設置され、収穫期になると前年までの分を詰め替え、その年の貯穀分を加えたそうで、飢饉・災害の際に放出し、困窮した農民を救済するために使われたそうです。

1783年に被災し埋没した鎌原村は、1788年にこの郷倉を建てました。被災から5年ではまだ自分たちの家ですらままならなかったろうに、大したものです。つくづく、日本人は土地につく生き物なのだと思います。住民の2割が死んだポンペイの住民たちは町を捨てました。しかし住民の8割以上が死んだ鎌原は村を棄てませんでした。ここで生きて再建していったのです。