吾妻東部町村連携講座「ふるさと探訪」の3回目。今回は『東吾妻町 古墳ものがたり〜古墳時代の東吾妻町へタイムスリップ〜』。私が最も楽しみにしていた講座です。
まずは中央公民館で、教育委員会教育課・吉田智哉さんによるパワーポイントでの解説。吉田さんは広報ひがしあがつまでシリーズ『東吾妻町の歴史・文化探訪』を執筆担当している人で、とても深い知見を有している方です。解説もわかりやすく、まとめ方も上手。確か30歳代のはずなので、今後、どこまで行ってしまうのか、末恐ろしいお方です。
−吉田さんの最後のお話から−
高木や建築物を除けば、諏訪塚古墳は太田植栗地区のどこからでも見えます。昔は建築物はなく、平地はみな田畑だったでしょうから、明らかに諏訪塚古墳は周囲にその存在をアピールしています。また、吾妻郡の中でも最も大きな平場であることから、この地は豊かであり、吾妻の大王、或いはそれ相当の有力者がいたのでしょう。
ヤマト王権では前方後円墳はステータス、権力の象徴でした。ところが東国文化の中心地よりも先に古墳文化と接触があった可能性がある吾妻は、前方後円墳にはステータスを見出してはいませんでした。
吾妻郡の古墳のことが解かれば、群馬県の古墳の理解、解明がぐっと進むでありましょう。