地区の古記録によれば、四戸の獅子舞は江戸時代末期の嘉永五年(1852)9月19日、三島の鳥頭神社例祭に、四戸・生原(おいばら)両組が共同して獅子舞を奉納したのが始まりといわれています。
その年は、農作物が極めて豊作、その上天下も安泰とあって両組の氏子は神様にお礼をしようという気持ちから、両組で協議書を取り決めて、今後毎年鳥頭神社例祭に獅子舞を奉納することにしました。
三島鳥頭神社では秋の例祭時に、獅子舞の奉納と多々神楽が同時に行われています。多々神楽を行っている真っ最中に、獅子舞が境内に侵入してきます。しかも両方共、楽器を鳴らしたままです。
なんて華やかな境内なのでしょう。獅子舞が舞い、多々神楽が舞っています。これは日本を代表する奇祭なのではないでしょうか?!多々神楽の方は三島鳥頭神社が村社に昇格したのを記念して、大正元年(1912)仮説の舞台を作り、熊野講社多々神楽の神楽師に依頼し奉納したのが始まりとされています。ということは獅子舞の方が60年も早くから行われていることになります。
そして、神楽殿の天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が餅投げを開始、
ヤッター、餅投げと獅子舞を一緒に撮れた!。゚ヾ(感’∀’激)ノ゙★☆