嬬恋村今井の棚田には、「平沢の田の神様」と言われる宝筐印塔(ほうきょういんとう)があります。
今井東平遺跡からは 6000 年前の土器や住居跡が発掘されています。旧嬬恋湖の湖畔に位置していたこの地は、原始において文化や経済交流の接点だったであろうと唱える人がいます。
昭和後期の鉱山毒流出前までは蛍が飛び交っていた温井の湧水は、さらに以前では長い間温泉であった事が解っています。今井地区が古代文化の主要地であったという説はまんざらでもありません。
かつての温泉の谷を見下ろす丘には神宿る巨石がありました。祖先たちは神は春になれば山を降りてきて田の神になり、収穫が終わると山に帰ると信じていました。
やがて西暦1335年、吾妻谷も室町・南北朝時代の戦乱の中で、多くの将兵が親王軍として討ち死にまたは自刃していきました。戦地跡には供養塔が建てられ、今井では田の神の上に宝筐印塔が奉られました。
死者もまた神霊となって村を守ると信じられていました。全てが神との生活であった祖先たちには、神となった死者は神と同じ場所に祀り信仰する必要があったのでしょう。