吾妻神社(群馬県吾妻郡中之条町)

吾妻神社を正式に参拝する時は、親都神社と一緒にすると決めていました。その理由は、吾妻神社は和利大明神=嵩山を奉った神社だと聞いたからです。和利宮はその昔、親都神社の場所から伊勢町の東端の御手洗山山頂に移され、さらに弘治2年(1556)、中之条町一帯を支配していた塩谷氏が自分を守ってくれる神として御手洗山から現在の横尾の地に遷座したそうです。
※南西に三丁(約 330 m )行った先には現在山はなく、宅地になっています。

ということは、本来の縁起としては、親都神社と一緒ということになります。しかし、文化年間の火災によって社殿、古記録が焼失し創祀年代も不明となってしまいました。一説には和銅年間( 708 年 〜 715 年)の創祀とも伝えられる古社です。

郷社であった吾妻神社は地域の崇敬を集めていました。拝殿をはじめ境内の献額には、天保9年(1838)の絵馬、文政6年(1823)の句額、明治 11 年(1878)の算額などがあるそうです。

しかしここの彫刻は年季が入っている上に、見事です。木鼻は獅子と、花? 拝殿入口にもびっしり。鶴は今にも羽ばたきそうです。龍もいい感じ。

本殿がある、裏手に回ってみますと、こちらは色は塗られてはいないものの、拝殿を凌駕する程の見事な彫刻が刻まれていました。

うわっ、龍の梁ですか! (ノ゚ρ゚)ノ オオォォォ-「龍体丸彫り虹梁」っていうやつですかね。凄い技術です。

本殿全体が、見事な彫刻で覆われ尽くしていました。いやー感激。