龍峨山不動尊追儺祭(原町成田不動尊の節分豆まき)

「原町誌」によると、徳治二年(1307年)、岩櫃城主吾妻太郎行盛が、城内安全武運長久祈願のために城の東北の霊地である此処に大聖不動明王を奉祈し金剛坊法印円覚を別当としたのが龍峨山金剛院不動堂の創始である。…とあります。