天王石

 天王石は、むかし市の開かれたことをしめす大切な証拠である。ここ親都は嵩山城の武士が、ふだん生活をしていた所(根古屋)で親都千軒といわれた大きな集落(城下町)であった。元禄六年の五反田村の絵図には嵩山を中心に七社大明神(現親都神社)伊勢宮、石薬師などが書かれ、トウケエシ稲荷奥宮、宝蔵寺跡、天王屋敷などがある。天王屋敷には天王石があって、毎年しめかざりや時には供物などをして大切に守られてきたのである。

 天王宮には須佐之男命、牛頭天王を祭る、市の神様で、また疫病退散の神でもある。天王石は天王宮をうつす所で市を開く日にはこの天王石の上に「おかりや」と云う建物をつくり、ここに御神体を移してその前一帯に多くの店が出て市が開かれ必要物資の売買が行われたのである。
 この市は吾妻郡でいちばん古いと思われることと、この城下町が吾妻の中心的役割を持っていた時期があったと思われる。

 中之条町