西向観音堂(中之条町)

高山村の「北向観世音(福蔵寺)」すぐ近く、国道沿いにある西向観音堂。ここは中之条町になります。由来記には榛名山大坊満行院菩提寺よりこの地に分かれたもので、9世紀弘仁年中に無量山菩提寺と称して草創されたものだそうです。応仁の大乱で中絶後、十六世紀大永年中に再興しました。吾妻三十三番観世音札所のうち、最古の霊場とされているのだそうです。

また、「吾妻の巡礼〜吾妻三十三番観音縁起〜」には、興味深いことがいろいろと書かれていました。永延2年(988)3月15日に、花山天皇が十一人の高僧と共に坂東三十三番観音の水沢寺(渋川市)を訪れた際に、熊野権現が突然現れ「心が荒んでしまった吾妻の人々を救いたい」と言い、同年4月18日から7日間で三十三番観世音聖地を制定された。しかし中世南北朝時代、応仁の乱と乱世は続き、元禄3年(1690)に荒れ果てた道を開いて巡礼を再開したそうです。

中世においては小野子、村上の2村が吾妻郡に入っていたそうですが、徳川時代になって郡域が変更され、それに従って小野子と村上の札所は吾妻郡のお堂に変えられたのだそうです。