戦国真田の岩櫃城跡探検隊 第九弾 密岩神社参拝(東吾妻町)

最後に、密岩神社に参拝しました。真田幸隆の軍勢に攻められ岩櫃城が落城した際、斉藤城主や北の方は越後に落ち延びましたが北の方が迷い、三年三ヶ月の間、北国をさまよい探しましたが巡り会えず、もしや故郷岩櫃に帰っているのではないかと岩櫃に戻ったが、城には真田の六文銭の旗がたなびいていました。北の方は精根尽き果て絶命しましたが、その際に一筋の煙が立ち上がり、その中に観音の姿が現れ、すぐにまた消えてしまいました。

里人は北の方の不運を哀れんで、そこに水岩権現を奉り、手厚くその霊を慰めました。やがて水岩権現は密岩神社と呼ばれるようになりましたが、岩櫃山の落石によって進入禁止となり、現在はこの場所に移転したのだそうです。