熊野皇大神社(長野県)

神社に伝えられている由緒記また、古事記 日本書紀によると、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が碓氷嶺に登った際、急に濃霧で進めなくなった。そのとき一羽の八咫烏(ヤタガラス)が現れ、紀州熊野の梛木(ナギ)の葉をくわえ、落としながら先導し、それについて行き山頂まで登ることが出来た。日本武尊は碓氷峠の山頂から遠くの海を眺め、相模灘で荒波を静める為に海中に身を投じた最愛の妻、弟橘姫(オトタチバナナヒメ)を偲び「吾嬬者耶(アヅマハヤ)」「ああ、いとしき我が妻よ」と三嘆したと伝えられている。この事から、この山を「長く悲しんだ山」と言うようになり、それがにごり長倉山になり 軽井沢では、[長倉]の地名が多い。また日本武尊にちなんだ地名として[霧積][吾妻][嬬恋]もある。日本武尊はこの八咫烏の導きを熊野神霊の御加護によると考え、ここに熊野三社を祀った。人皇十二代景行天皇の御代に勧請した。とあります。