「沓掛海道」の道しるべ(嬬恋村)

この大笹宿から、中山道沓掛宿(中軽井沢)に行く道、沓掛街道の道しるべです。右に曲がれば沓掛方面、左は草津・沼田と書いてあります。沓掛街道の文字、“街”が“海”になっています。これは、この道はまるで海の中を歩いているような道だったからです。その理由は…

さて、折角なのでもう少しこの道、大笹宿に接していた道について考察しましょう。まず、道しるべの草津・沼田方面への道は信州街道(上州街道)で、上州の高崎宿が始点で万騎峠と鳥居峠を越えて信州上田に出る街道で、高崎から上田へは中山道経由よりも距離が短く、脇往還と呼ばれていたようです。

また、中山道軽井沢宿あたりから北陸に抜けるためには北国街道という主要道路がありました。中山道追分から北陸道高田を結ぶ三十五里(約140km)からなります。正しくは北国脇往還といいます。その、北国街道をショートカットするバイパスの役目をしたのが沓掛街道(大笹街道)で、須坂と中軽井沢を最短で結んでいました。

大笹街道は「山道八里」と称し、峰の原高原、菅平高原を越える険しい道で、冬季は積雪吹雪のため通行不可能になる事が多かったそうですが、福島宿から沓掛まで、二宿十四里(約56km)と、北国街道を経由する十宿二十一里(約84km)より短いため荷駄はもっぱら大笹経由で運ばれたそうなのです。