亘稲荷大神入口の石碑(東吾妻町)

真田むかし道を通ります。すると「亘稲荷大神入口」の石碑がありました。1563年、岩櫃城主斉藤基国(一般的には斉藤憲広)が真田の軍勢に敗れ落城した際のこと、斉藤氏の家臣・渡利常陸介が火炎の中を幼君を背負って切沢表まで逃れましたが、どうすることもできず、幼君を刺し殺してしまいました。その後その霊が子々孫々に祟り腹を病む物が続出したそうです。渡利家は渡利稲荷の傍らへ小社を建て殿宮大明神として祀り、その霊を慰めたところ、腹病は止んだそうです。しかし若君の怨念によって小社の竹林は残らず曲がって、一本もまっすぐな物はなかったのだそうです(富澤豊前守さんHPより引用)。