王城山神社の不思議な話。王城山神社(里宮)拝殿の左奥には、もう一つ拝殿があります。実はこちらの方が古い社だそうです。吾妻太郎藤原行盛(〜1349年)(岩櫃城主)が、信州諏訪大社(武運長久の神)を勧請して、領内の勘場木場(大津のあたり)に上社を、林の森に下社を造営した…というのが王城山神社の始まりだそうです。そしてその隣には、春(5月5日)に山の神様を里の神様・田の神様に招きおろし、秋に山にお帰りになるまでお過ごしいただく御仮屋が設置されています。もちろん、王城山頂付近の奥宮にも御仮屋はあります。

何が不思議かっていうと、この諏訪大明神を奉るはずの神額に「鳥頭宮」と書いてあることです。東吾妻町・矢倉鳥頭神社の鳥頭神は父・加若和利(嵩山)と母・子持御前(子持山)の御子であり、三神とも吾妻七社明神の神々です。諏訪大明神とは別神のはずです。

歴史学は面白いですね。