関肥後守清忠…の碑(中之条町)

大岩不動尊に行く途中で見つけました。

「関家の本家は、中之条町大字上澤渡字大岩にあり、残されている系図によると、遠祖は『大職冠・藤原鎌足公で、藤原姓・佐藤末葉』という。寿永元(1182)年佐藤肥後守清忠は、源頼朝から山口県下関の内160を領し『関』の姓を賜わる。鎌倉幕府滅亡後、関肥後守憲清が「吾妻郡澤渡の郷大岩」に移り、その長子・関堪解由左衛門の三男・関織部介行利が四万に分家、四万湖畔の殿貝戸の「せきぜん屋敷」に居住し『善兵衛』を名乗る。これが四万:関家の創祖であり、当主は、代々四万村の名主を勤め「積善兵衛」を襲名.元禄4(1691)年隠居して現在地に湯場を作り、旅籠宿を始めた」

どうやら四万温泉の老舗、「千と千尋の神隠し」のイメージモデルとなった積善館(の慶雲橋という橋?)と関係があるようです。