磨崖碑のこと(吾妻渓谷、道陸神峠越えむかし道)

吾妻渓谷内の看板より

昔吾妻渓谷は交通上の難所でした。江戸時代の頃から吾妻川沿いに道が開削されるようになりました。この渓谷にも道陸神(どうろくじん)峠道が岩場を切り開いて造られました。旧道は現在の道筋と違い山の中腹を通っております。今でも道かたが残っておりますが危険です。また、旧道沿いの岩場に道路開削時の協力村名が刻まれた磨崖碑があります。碑には、川原畑村・能谷(よきや)村・横壁村(現長野原町)、横谷村・松尾村(現吾妻町)の各休村名と「川…」「三…」が読みとれます。しかし他は風化欠損していて判読できません。
この旧道の開削にあたっては、たくさんの人々の苦労がありました。中でも川原畑村生まれの野口円心(1726〜1806)という僧は苦力を尽くしたそうです。
現在のように機械がなく、人力による開削はたいへん困難をきたしたと想像されます。

 平成12年10月吉日 長野原町教育委員会