熊ノ平駅殉難碑(安中市)

アプトの道遊歩道、熊ノ平神社の隣りには、殉難碑があります。かつてここでは大きな山崩れが起きてたくさんの人が亡くなっているのです。

熊ノ平駅大規模崩落事故 [Wikipediaより]1950年(昭和25年)6月は碓氷峠周辺で降雨が続き、上旬だけで軽井沢測候所で150ミリメートルもの雨量が観測された。そのような中、6月8日の午後8時半頃に熊ノ平駅構内の第10号トンネルで約3,000立方メートルの土砂が崩壊して本線・突込線が埋没した。この時点で人的被害はなかったが、含水量が多いことなどから作業が難航した上、翌6月9日午前6時6分頃にその上方で7,000立方メートルほどの崩落が発生し、作業中の人員や宿舎4棟・8戸が埋まった。

その後、手作業での救出作業が行なわれたが、6月11日午後11時半頃に3回目、6月12日午前7時24分に4回目の崩落がそれぞれ起きた。最終的にこの事故による死者は50名、重軽傷者は21名に上り、線路は延長70メートルにわたって幅60メートル、深さ2メートルの土砂が堆積した。遺体は6月22日までにすべてが回収され、信越本線は6月20日に開通、6月23日に完全復旧した。