小蓬莱と大蓬莱(吾妻渓谷・長野原町)
小蓬莱の真下の吾妻川が湾曲しているのは、小蓬莱の岩盤が固いことを意味します。 吾妻川と道路を隔てて大蓬莱と小蓬莱があります。二つの蓬莱はかつてはつながっていた時 […]
小蓬莱の真下の吾妻川が湾曲しているのは、小蓬莱の岩盤が固いことを意味します。 吾妻川と道路を隔てて大蓬莱と小蓬莱があります。二つの蓬莱はかつてはつながっていた時 […]
『戦国真田の岩櫃城跡探検隊 第八弾 真田の忍たち 栄光と悲しみ』にて。 当代最高の忍であった唐沢玄蕃と割田下総でしたが、天下泰平後は召抱えられることはなく帰農し […]
この大笹宿から、中山道沓掛宿(中軽井沢)に行く道、沓掛街道の道しるべです。右に曲がれば沓掛方面、左は草津・沼田と書いてあります。沓掛街道の文字、“街”が“海”に […]
大岩不動尊に行く途中で見つけました。 「関家の本家は、中之条町大字上澤渡字大岩にあり、残されている系図によると、遠祖は『大職冠・藤原鎌足公で、藤原姓・佐藤末葉』 […]
旧六合村根広地区にある「ねどふみの里」の庭先にある記念碑です。 六合村の昔記念碑 深山幽玄と言われる六合村は、トント昔からお蚕様と暮らし、辻に仲良く寄り添う道 […]
長福寺の五輪塔 県道渋川・吾妻線の南側丘陵地の長福寺境内にこの五輪塔はある。境内にある観音堂の西側に岩櫃城主吾妻太郎行盛の墓碑と伝えられる五輪塔である。年号には […]
旧国道から鹿飛橋を渡り右岸を歩いて間もなくの岩にある筒型の穴は、今まで人工的なものだと考えてきましたが、旧六合村世立の「けんずり穴」のことを考えると、これは大昔 […]
「けんずり穴」は、石の下にありました。大人の拳位の大きさで、深さは約 20 cm 。まるで機械で掘削したような形状の甌穴(おうけつ)です。地元では大切な穴で、石 […]
中之条町のシンボルともいえる・嵩山(たけやま・789m)は、吾妻七社明神の中心的な神である和利大明神そのものであり、祖先の霊魂を祀る山、天狗の住む伝説など、古く […]
王城山九合目・御籠岩(みこもりいわ)です。昔は日本武尊が御東征の折に御駐屯されたという、大きな岩陰があったそうですが、崩れやすい凝灰角礫岩なのでもう残ってはいな […]
ここでは、古代の日本武尊伝説を抜きにして、奥宮石祠に彫られている「諏訪大明神 王城山大明神」の文字から中世以降の王城山神社勧請と奥宮の存在意義を考えてみます。 […]