王城山神社の双対道祖神
境内には集められてきた双体道祖神が置いてあります。中でも町内でも最も古いという、1706年に作られた双対道祖神は、お互いのお手てが○秘部分にのびています。かつて […]
境内には集められてきた双体道祖神が置いてあります。中でも町内でも最も古いという、1706年に作られた双対道祖神は、お互いのお手てが○秘部分にのびています。かつて […]
なかのじょう里山テーマパークの春の風物詩イベント、「なかのじょう桃源郷ピクニック」にて。 子安社の産石(うぶいし)は吾妻七つ石の一つで、この石の頂上に石を投げて […]
アプトの道遊歩道、熊ノ平神社の隣りには、殉難碑があります。かつてここでは大きな山崩れが起きてたくさんの人が亡くなっているのです。 熊ノ平駅大規模崩落事故 [Wi […]
離山南口登山道を軽井沢歴史民俗資料館から登り始めると、程なくして右側に階段が現れます。登ってみると、なんと雨宮家始祖之墓との石碑がありました。今でこそ軽井沢はプ […]
一般的にほうろくというと、「焙烙」と変換されますが、ここでは別の字である「炮碌」という漢字を使っています。意味は同じだそうです。 いつ見てもこの焙烙岩は迫力があ […]
吾妻渓谷内の看板より 昔吾妻渓谷は交通上の難所でした。江戸時代の頃から吾妻川沿いに道が開削されるようになりました。この渓谷にも道陸神(どうろくじん)峠道が岩場を […]
「丘を越えて」の碑は、浅間牧場の中を少し奥の方に歩いたところにあります。 現地看板より 日本歌謡曲のなかで体中にもっとも広く、永く愛された「丘を越えて」は昭和6 […]
国指定の天然記念物・的岩。将軍源頼朝が狩りの際に、家来と弓を引いてこの屏風岩を狙っていると、どこからか異形の大男が現れ、「わしならこの握り飯で当てて見せる」と言 […]
川原畑地区の墓地と詣り墓の石塔群。川原畑では、死者を埋葬する墓(埋め墓)と石塔を立てて霊魂を祀る墓(詣り墓、またはヒキ墓)を別にする「両墓制」という風習がありま […]
長野原町林地区にある、神明照四海(稲荷社らしい)と書いてある社の裏には「つぶらっこ様」と呼ばれる石があります。この石は小さな石を生むといわれ、「子宝縁起」として […]
草津町のむかし道(電車道コース)一の沢 の軌道敷跡をそのまま進むとやがて草津温泉の住宅街、そしてホテル群が見えてきます。最後は浅間台公園という小さな公園が右側に […]
嬬恋村今井の棚田には、「平沢の田の神様」と言われる宝筐印塔(ほうきょういんとう)があります。 今井東平遺跡からは 6000 年前の土器や住居跡が発掘されています […]