不可解な鎌原城(嬬恋村)
鎌原観音堂の向かいにある墓地の横の道を進んでいくと、やがて左に「鎌原城址」の看板があります。 三の丸よりも手前から見ますと、道路の前方、延長線上に三の丸、二の丸 […]
鎌原観音堂の向かいにある墓地の横の道を進んでいくと、やがて左に「鎌原城址」の看板があります。 三の丸よりも手前から見ますと、道路の前方、延長線上に三の丸、二の丸 […]
今日は、「 戦国時代の城址をめぐるエコツアー:岩櫃城址(南側遺構) 」 の、下見をしてきました。 11月1日(土)〜2日(日)に実施する忍者複合イベント 「岩櫃 […]
「 戦国時代の城址をめぐるエコツアー:岩櫃城址(北側遺構) 」の、下見をしてきました。 「志摩小屋」「水の手」「詰めの丸」などの見どころがあるコースです。
11月1日(土)〜2日(日)に東吾妻町にて、岩櫃城、歴史、武士、忍者、戦国時代、真田氏…などをテーマにした 「岩櫃城 忍びの乱」(http://www.shin […]
郷原の古谷地区から岩櫃山に登るルートは、標高差 150 m 程を一気に登る「赤岩通り」が一般的で、強者なら岩櫃山山頂まで 30 分で登頂できる!ということなので […]
天正 10(1582)年3月、甲斐の武田勝頼は織田・徳川の連合軍に攻められていました。軍議の席上、真田昌幸は岩櫃城に勝頼を迎え入れ、武田の再挙を図ることを提案し […]
潜龍院到着手前で弁当の配布、そして岩櫃太鼓でお出向かえ。石垣がある側の道路向かい側はとても広く、そして高木により日陰が十分にあります。ここなら、500人、いや1 […]
東吾妻町にある潜龍院跡(武田勝頼を迎えようとした御殿)の保護活動や、岩櫃城址関連の遺構、歴史文化的なものの啓蒙・案内活動を行っている地域おこし団体「あざみの会」 […]
(尻高集落内案内看板より)尻高城跡 尻高城(応永8年(1401)〜天正8年(1580)) 応永8年3月白井城主長尾重国の家臣により築城が始まる。 同十年完成。重 […]
並木城跡 尻高城の里城であるが、現在は城跡のみである。南からの比高は10m以上、東からも5m高く、この両方向には腰曲輪様の部分も認められる。東から南に、幅25m […]
大戸城主の大戸氏の本名は浦野氏で、祖先は鎌倉時代に幕府に仕えた海野幸氏だそうで、信州滋野氏一族、つまり真田氏と同族になります。大戸城主大戸真楽斎は岩櫃城主斉藤憲 […]
長野原町指定文化財 羽根尾城跡(羽尾城) 昭和49年9月21日指定 戦国時代に信濃源氏、滋野氏の末裔羽尾幸全入道は羽尾城を根拠として勢力を振るった。幸全の舎弟 […]
【新シリーズ】戦国真田の吾妻侵攻と、あがつまの山・里・花を訪ねるエコツアーhttp://ecotourism.or.jp/sengokusanada.html […]
根津さんの案内で早速、岩下城址へ。コニファーいわびつの上の道をそのまま上って行きます。 実は岩櫃城は真田氏が築城した城であって、永禄六年(1563)斉藤氏が吾妻 […]