東吾妻町、石上橋西の道祖神
セブンイレブン吾妻岩下店に車を止めて、石橋の西方面に進むと、ああ、ありました。 ふーむ、よくよく観察すると、上半身は着物を着ていて、下半身だけ脱いでいますか。… […]
セブンイレブン吾妻岩下店に車を止めて、石橋の西方面に進むと、ああ、ありました。 ふーむ、よくよく観察すると、上半身は着物を着ていて、下半身だけ脱いでいますか。… […]
『戦国真田の岩櫃城跡探検隊 第八弾 真田の忍たち 栄光と悲しみ』にて。 当代最高の忍であった唐沢玄蕃と割田下総でしたが、天下泰平後は召抱えられることはなく帰農し […]
この大笹宿から、中山道沓掛宿(中軽井沢)に行く道、沓掛街道の道しるべです。右に曲がれば沓掛方面、左は草津・沼田と書いてあります。沓掛街道の文字、“街”が“海”に […]
大岩不動尊に行く途中で見つけました。 「関家の本家は、中之条町大字上澤渡字大岩にあり、残されている系図によると、遠祖は『大職冠・藤原鎌足公で、藤原姓・佐藤末葉』 […]
旧六合村根広地区にある「ねどふみの里」の庭先にある記念碑です。 六合村の昔記念碑 深山幽玄と言われる六合村は、トント昔からお蚕様と暮らし、辻に仲良く寄り添う道 […]
長福寺の五輪塔 県道渋川・吾妻線の南側丘陵地の長福寺境内にこの五輪塔はある。境内にある観音堂の西側に岩櫃城主吾妻太郎行盛の墓碑と伝えられる五輪塔である。年号には […]
ここでは、古代の日本武尊伝説を抜きにして、奥宮石祠に彫られている「諏訪大明神 王城山大明神」の文字から中世以降の王城山神社勧請と奥宮の存在意義を考えてみます。 […]
境内には集められてきた双体道祖神が置いてあります。中でも町内でも最も古いという、1706年に作られた双対道祖神は、お互いのお手てが○秘部分にのびています。かつて […]
アプトの道遊歩道、熊ノ平神社の隣りには、殉難碑があります。かつてここでは大きな山崩れが起きてたくさんの人が亡くなっているのです。 熊ノ平駅大規模崩落事故 [Wi […]
離山南口登山道を軽井沢歴史民俗資料館から登り始めると、程なくして右側に階段が現れます。登ってみると、なんと雨宮家始祖之墓との石碑がありました。今でこそ軽井沢はプ […]
吾妻渓谷内の看板より 昔吾妻渓谷は交通上の難所でした。江戸時代の頃から吾妻川沿いに道が開削されるようになりました。この渓谷にも道陸神(どうろくじん)峠道が岩場を […]
「丘を越えて」の碑は、浅間牧場の中を少し奥の方に歩いたところにあります。 現地看板より 日本歌謡曲のなかで体中にもっとも広く、永く愛された「丘を越えて」は昭和6 […]
川原畑地区の墓地と詣り墓の石塔群。川原畑では、死者を埋葬する墓(埋め墓)と石塔を立てて霊魂を祀る墓(詣り墓、またはヒキ墓)を別にする「両墓制」という風習がありま […]
草津町のむかし道(電車道コース)一の沢 の軌道敷跡をそのまま進むとやがて草津温泉の住宅街、そしてホテル群が見えてきます。最後は浅間台公園という小さな公園が右側に […]